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東京地方裁判所 昭和54年(ワ)5363号 判決 1983年5月30日

原告 西宮京子

右訴訟代理人弁護士 海地清幸

被告 有限会社銀栄商事

右代表者取締役 大山蓉子

右訴訟代理人弁護士 大石徳男

被告 木村靜

右訴訟代理人弁護士 前田政治

主文

一  被告有限会社銀栄商事は、原告に対し、原告から金七〇〇万円の支払を受けるのと引換えに別紙物件目録記載(一)の建物を明渡し、かつ、昭和五四年三月八日から右明渡済みに至るまで一か月金三万三〇〇〇円の割合による金員を支払え。

二  被告木村靜は、原告に対し、原告から金一〇〇〇万円の支払を受けるのと引換えに別紙物件目録記載(二)の建物を明渡し、かつ、昭和五四年六月一二日から右明渡済みに至るまで一か月金五万四〇〇〇円の割合による金員を支払え。

三  原告の被告らに対するその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は被告らの負担とする。

五  この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告有限会社銀栄商事は、原告に対し、原告から金四五〇万円又は裁判所の決定する額の立退料の支払を受けるのと引換えに別紙物件目録記載(一)の建物を明渡し、かつ、昭和五四年三月八日から右明渡済みに至るまで一か月金三万三〇〇〇円の割合による金員を支払え。

2  被告木村靜は、原告に対し、原告から金六〇〇万円又は裁判所の決定する額の立退料の支払を受けるのと引換えに別紙物件目録記載(二)の建物を明渡し、かつ、昭和五四年六月一二日から右明渡済みに至るまで一か月金五万四〇〇〇円の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する被告らの答弁

1  原告の被告らに対する請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

(被告有限会社銀栄商事に対する請求)

一  請求原因

1 原告の母、西宮可祢(以下「可祢」という。)は、被告有限会社銀栄商事(代表者、取締役大山蓉子、以下「被告銀栄」という。)に対し、昭和三八年一二月五日、可祢所有の別紙物件目録記載の一棟の建物(以下「本件建物」という。)のうち同目録記載(一)の建物(以下「本件建物(一)」という。)を、賃貸期間三年、賃料一か月金二万五〇〇〇円の約定で貸渡した。その後、可祢と被告銀栄は右賃貸借契約を昭和四一年一二月四日と昭和四五年四月一日にそれぞれ更新した。

2 昭和四五年四月一日の右更新時の契約内容は次のとおりである。

(一) 目的 飲食用店舗

(二) 賃貸期間 昭和四五年四月一日から三年間

(三) 賃料 昭和四五年五月分まで一か月金二万七五〇〇円、同年六月分以降一か月金三万一〇〇〇円

(四) 特約 賃貸建物の改装、間仕切り、造作設備の新設、附加又は変更、除去等をなすときは、予め賃貸人の書面による承諾を要する。

3 可祢は、昭和四七年一月二五日死亡し、その子の原告が相続により被告銀栄に対する右賃貸人たる地位を承継した。

4 その後、右賃貸借契約は、昭和四八年三月末日の経過により、法定更新され、期間の定めのない賃貸借になった。

5 原告は、被告銀栄に対し、昭和五三年九月七日、右賃貸借契約を解約する旨の申入れをなした。右解約の申入れは、次の正当事由に基づくものである。

(一) 被告銀栄は、昭和五三年七月から遅くも同年八月二九日までの間に、原告に無断で、本件建物(一)の入口部分の取替え、入口の柱を含む内部の柱、梁、土台、基礎等建物の基本構造に関する部分の改造、補修をするなど大改造をした。原告は、右同日、この事実を発見し、同月三一日、同被告に対し工事の中止と現状回復を書面をもって申入れた。しかるに、被告銀栄は右工事を続行し、同年九月五日右工事を完成させ、全く異なった建物にしてしまい、原、被告間の信頼関係を失わせるに至った。

(二) 本件建物は、昭和二一年に可祢が、昭和二年ころ建築した木造建物を壊した古材をもって建築したものであるが、昭和四四年九月一九日、裏隣りの中華料理店「千明」二階のレストランからの出火により、本件建物の裏側上部約三分の一が類焼し、原告が修理した後も同箇所の柱の強度は極めて弱くなった。本件建物は全般的に腐朽、損傷の程度が著しく、朽廃の時期も迫っており、危険である。また、本件建物は、防火地域内にあり、建物は耐火構造にしなければならない場所であり、保健衛生上や防火防災上の公益の見地から、また、銀座という場所柄や美観上からも、更には土地の有効利用の面からも、これを早急に取壊して改築する必要がある。

(三) 原告は、被告銀栄に対し、期間満了に伴い、昭和四八年五月、賃料一か月金五万四〇〇〇円に増額したい旨を告げ、契約の更新につき協議したが、同被告が拒んだため合意に達せず、前記のとおり法定更新になった。その後、本件土地に課せられる固定資産税、都市計画税が大巾に増額され、本件建物の賃料では地代にも及ばない状況になったので、昭和五二年七月、三・三平方メートル(一坪)当り一か月金一万七〇〇〇円に増額したい旨を申入れたが、被告は三・三平方メートル当り金一万円を主張してこれを拒み合意に達せず、従前の賃料のまま今日に至っている。これに対し、本件建物の敷地(東京都中央区銀座八丁目四番三〇、宅地八六・三一平方メートル及び同所四番六六、宅地一三・六一平方メートル、合計九九・九二平方メートル、以下、合わせて「本件土地」という。)の固定資産税と都市計画税の税額は、昭和四七年度以降増額の一途を辿り、被告銀栄の賃料は右土地の地代にも及ばないようになった。

(四) 原告は、肩書住所地に宅地、建物(以下「原告宅」という。)を所有し、同所において「松山」の屋号で天ぷら屋を経営している。右原告宅の北側地続きには港区立麻布小学校及び同区立麻布幼稚園の校庭と校舎がある。また、原告宅の南隣り及び西隣りにはかつて民家があったが、これらの民家の敷地を訴外清和ビルディング株式会社が買収し、マンションの建築を計画した。これに対し、麻布小学校のP・T・Aなど関係者が校庭及び校舎が日陰になるのでマンションの建設に強く反対し、結局、港区が訴外会社から右土地を買取り、地上の建物を取毀して校庭とした。右のような経緯で、原告宅の北、西、南の周囲三方は別紙図面(二)記載のとおり、学校の校庭の中央部に一軒だけ突き出た形になった。そこで、港区は原告に対し、校庭の拡張のため原告宅の移転を強く求めてきた。原告も右状況から、公益のため校庭の有効利用に協力し、老朽化した本件建物の敷地である本件土地に原告の住居及び店舗を建築し、移転する必要がある。

(五) 原告は、被告銀栄に対し、昭和五三年九月七日到達の書面をもって本件建物(一)の賃貸借契約解約の申入れをした際、立退料として金四五〇万円の支払を申出、また、本件の和解期日においても右同額の立退料の支払を申出るなど円満解決のため誠意を尽してきた。右立退料の算定根拠は、被告銀栄の本件建物(一)の最終賃料一か月金三万三〇〇〇円の約百倍で、かつ、本件建物(一)の借家権価格の約三〇パーセントを参考にして算定したものである。

よって、原告は、被告銀栄に対し、賃貸借の終了に基づき、原告から金四五〇万円又は裁判所の決定する額の立退料の支払を受けるのと引換えに本件建物(一)を明渡し、かつ、訴状送達の日の翌日である昭和五四年三月八日から右明渡済みに至るまで一か月金三万三〇〇〇円の割合による賃料相当損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被告銀栄の答弁

1 請求原因1ないし4の事実は、いずれも認める。

2 同5の冒頭の事実中、原告主張の解約の申入れがなされたことは認めるが、その余の事実は否認する。

同5の(一)の事実中、原告主張の工事の中止を求める書面が被告に到達したことは認めるが、原告に無断で工事をしたとの点は否認する。本件建物(一)は、もと訴外山本久直が可祢から賃借して瀬戸物店を開いていたものであるが、被告銀栄が借受ける際、建物の間口が狭すぎるため、可祢から東側の隣地との間約三〇センチメートル巾の空地に一階だけ一部増築する許可を得、被告の費用で工事をした。ところが、昭和五三年に至り、この増築部分の一部が隣地との境界を越えていることが判明した。その越境範囲は最大約五センチメートルのほぼ三角形をなすものであった。そこで、被告銀栄は、原告の求めに応じて右越境部分を撤去することにし、原告に工事見積額が金五八三万円になることを告げ、その了解のもとに越境部分の取毀工事をし、かつ、この工事で破損した店内のカウンター、戸棚及び洗場の取換工事と外装工事をしたのである。右工事は昭和五三年八月二六日着工し、同月末ころ概ね完成し、原告から工事中止の書面が到着した同月末日には工事は完成に近い状態であった。右越境は原告の責任であり、被告は越境部分の取毀しと再工事により損害を被った。

同5の(二)の事実中、本件土地は防火地域にあり、建物は耐火構造にしなければならない場所であることは認めるが、その余の事実は否認する。

同5の(三)の事実中、原告からその主張のような賃料増額の申入れがあり、被告がこれに同意せず、長期間賃料が同一であることは認めるが、本件土地の固定資産税及び都市計画税の額は知らない。原告は極端な増額要求を出しながら、電話で交渉をすませたものである。なお、昭和五二年には原告は、一回だけ賃料増額の交渉をした後、直ちに賃料増額の内容証明郵便を送りつけ、賃料増額につき誠意ある交渉がなされないまま長期間改訂されなかったのであって、これについて被告に責任はない。

同5の(四)の事実は知らない。

同5の(五)の事実中、原告からその主張のような立退料の支払の申出があったことは認めるが、主張は争う。被告銀栄は、本件建物(一)の内部造作はもとより建物の内外に原告の同意を得て手を加えており、その評価額は金五〇〇万円を下らない。また、被告銀栄の昭和五二年以降四年間の年間平均売上は金一八〇〇万円であり、そのうち最低三〇パーセントの利益があった。したがって、立退料は金二〇〇〇万円が相当である。

(正当事由に関する被告銀栄の主張)

原告が麻布台の原告宅から転居することがあったとしても他に転居先を探すことはでき、また、本件土地に建築されるビルに原告が居住することは銀座という土地柄からありうることではない。

他方、被告は、本件建物(一)におけるバー経営が唯一の収入源であり、店を閉めることは不可能である。

(被告銀栄の主張に対する原告の認否)

被告銀栄の主張事実を否認する。

(被告木村靜に対する請求)

一  請求原因

1 可祢は、被告木村靜(以下「被告木村」という。)に対し、昭和三五年四月一日、可祢所有の本件建物のうち別紙物件目録記載(二)の建物(以下「本件建物(二)」という。)を賃貸期間三年、賃料一か月金三万三〇〇〇円で貸渡した。その後、可祢と被告木村は、右賃貸借契約につき、昭和三九年四月一日、昭和四二年四月一日及び昭和四五年四月一日にそれぞれ更新した。

2 昭和四五年四月一日の右更新時の契約内容は次のとおりである。

(一) 目的 飲食用店舗

(二) 賃貸期間 昭和四五年四月一日から三年間

(三) 賃料 昭和四五年五月分まで一か月金四万五〇〇〇円、同年六月分以降一か月金五万四〇〇〇円

3 可祢は、昭和四七年一月二五日死亡し、その子の原告が相続により被告木村に対する右賃貸人たる地位を承継した。

4 その後、右賃貸借契約は、昭和四八年三月末日の経過により法定更新され、期間の定めのない賃貸借になった。

5 原告は、被告木村に対し、昭和五三年九月一日、同被告との右賃貸借契約を解約する旨の申入れをなした。右解約の申入れは、次の正当事由に基づくものである。

(一) 被告銀栄に対する請求原因5の(二)の事実(本件建物の全般的な老朽化等の事実)に同じ。

(二) 原告は、被告木村に対し、昭和四八年五月、期間満了に伴い賃料一か月金六万八〇〇〇円に増額したい旨を告げて契約の更新につき協議したが、同被告が拒んだため合意に達せず、法定更新になった。その後、本件土地に課せられる固定資産税及び都市計画税が大巾に増額され、本件建物の賃料では地代にも及ばない状態になったので、昭和五二年七月に一か月金七万六五〇〇円に増額したい旨を申入れたが、被告木村は建物が古いと言って増額に応ぜず、合意に達しなかった。そのため賃料は従前の金五万四〇〇〇円のままである。

(三) 被告銀栄に対する請求原因5の(四)の事実(原告の自己使用の必要)に同じ。

(四) 原告は、被告木村に対し、昭和五三年九月一日到達の書面をもって本件建物(二)の賃貸借契約の解約の申入れをした際、立退料として金六〇〇万円の支払を申出、また、本件の和解期日においても立退料の支払を申し出たりするなど円満解決のため誠意を尽してきた。右立退料は、被告木村の本件建物(二)の最終賃料一か月金五万四〇〇〇円の約百倍で、かつ、借家権価格の三〇パーセントなどを参考にして算定したものである。

よって、原告は、被告木村に対し、賃貸借の終了に基づき、原告から金六〇〇万円又は裁判所の決定する額の立退料の支払を受けるのと引換えに本件建物(二)を明渡し、かつ、訴状送達の日の翌日である昭和五四年六月一二日から右明渡済みに至るまで一か月金五万四〇〇〇円の割合による賃料相当損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被告木村の答弁

1 請求原因1ないし4の事実は、いずれも認める。

2 同5の冒頭の事実中、原告主張の解約の申入れがなされたことは認めるが、その余の事実は否認する。

同5の(一)の事実中、本件建物が朽廃に近い状態にある点は否認し、その余の建物の状況は知らない。建物の老朽化については法律上の耐用年数が経過していても現実に使用に耐えているものであり、何ら危険性の具体的徴候もなく、被告木村が営業のため使用しているもので、老朽化というには程遠いものである。

同5の(二)の事実中、本件建物(二)の昭和四五年六月以降の賃料が一か月金五万四〇〇〇円のままになっていることは認める。右金額が現状にそぐわないのであれば適正な値上げの話合いに応ずる意思はある。したがって、何ら信頼関係は失われていない。本件土地の固定資産税及び都市計画税の額は知らない。

同5の(三)の事実は知らない。

同5の(四)の事実中、原告からその主張のような立退料の支払の申出があったことは認めるが、主張は争う。立退料は金三〇〇〇万円が相当である。

(正当事由に関する被告木村の主張)

原告は、本件建物(二)の自己使用の必要性がない。原告は一人住いであり、現在の住居を移転するにしても、東京都内の原宿にマンション六室を所有し、そのうち一室は空室である。また、原告が港区から麻布台の原告宅の移転交渉を受けているとしても、原告は移転の条件として金銭補償を拒否し、右建物の敷地に匹敵する営業可能な土地を要求しており、本件明渡は右移転のためではなく、畢竟、原告の営む「てんぷら店」の銀座店として開業するため本件建物の明渡を要求しているものである。被告木村は、本件建物(二)で長年バーを経営し、移転による損失は大であり、今後も継続して本件建物(二)を使用する必要がある。

(被告木村の主張に対する原告の認否)

被告木村の右主張事実中、原告がマンションの部屋を所有していることは認めるが、その余の事実は否認する。

第三証拠《省略》

理由

第一被告銀栄に対する請求について

一  被告銀栄に対する請求原因1ないし4の事実(本件建物(一)に関する可祢と被告銀栄との賃貸借契約及び原告の右賃貸人たる地位の承継等の事実)並びに原告が被告銀栄に対し、昭和五三年九月七日、右賃貸借契約を解約する旨の申入れをなした事実は、原告と被告銀栄間に争いがない。

二  そこで、右解約の申入れが正当事由に基づくものであるか否かについて判断する。

1  《証拠省略》を総合すると、次の事実を認めることができる。すなわち、原告の母亡可祢は、大正の中ころから本件土地を訴外西村庫三から賃借して建物を所有していたのであるが、戦争末期の昭和二〇年春ころ、空地を作るため右建物は強制的に取毀しとなった。可祢は、戦後の昭和二一年に本件土地に再度建物を建築することを計画したが、当時材木が不足していた時期でもあったので、大工を介して昭和二年ころ建築の木造建物を壊した古材を入手し、それを利用して本件建物を建て、可祢及び原告が同所に居住した。その後、可祢は右建物を貸室に改造して賃貸し、原告と共に東京都港区麻布台の原告の肩書住所地に土地、建物を求めて移転した。本件建物の一部である本件建物(一)は、被告銀栄が可祢から賃借する前は、訴外山本久直が賃借して瀬戸物店を開いていたものであるが、被告銀栄はバーを開店するため右建物を借受ける際、間口が狭すぎて商売に差支えるため、右建物東側の隣家との間にある約三〇センチメートル巾の空地を利用して同被告の費用で一部増築することの承諾を求めた。そして、被告銀栄は可祢の承諾を得て別紙図面(一)記載ハ、ヘの各点を直線で結ぶ線上にあった一階部分の壁面を取毀し、ベニヤ板などを使って約三〇センチメートル東側に突き出したバラック建の建物を増築したのであるが、昭和五三年七月ころ、本件土地の東隣りの土地所有者がビル新築のため隣地上の建物を取毀したところ、被告銀栄の前記増築部分が隣地に約五センチメートルはみ出していることが判明し、隣地所有者からはみ出し部分の早期撤去を求められた。そこで、原告は直ちに被告銀栄に右部分の撤去を求め、被告銀栄は同年七月一三日付で建築業者から建物の造作工事、給排水衛生工事、内装工事、什器工事、厨房器及び電気工事等を内容とする工事費合計金五八三万八〇〇〇円のかなり本格的な工事の見積書を得、工事に着工させたのであるが、将来原告から立退要求を受けて右建物を明渡さなければならない事態を慮り、費用を最小限度に押え、結局、約二〇〇万円の工費をもって右撤去に関する工事をした。ところが、同年八月二九日に至り、原告は、被告銀栄の工事が、はみ出し部分の撤去工事に止まらず、原告の承諾なくして本件建物(一)の正面外壁、入口付近の土台、建物内部の柱、梁の各補強並びに内部改装工事等を含んでいることを発見し、直ちに同月三〇日、右工事の中止と現状回復を求める内容証明郵便を発し、同郵便は翌三一日同被告に到達した(右郵便到達の事実は争いがない)。しかるに、被告銀栄は原告の右要求を無視し、同年九月初旬、右補強並びに内装工事を完成させてしまった。右のような工事をする場合、賃借人は予め賃貸人の書面による承諾を要する旨原・被告間の特約があるうえ、原告の中止の要請を無視してまで被告銀栄が前記各工事を、撤去工事に藉口して、続行し完成させてしまったことにより、原告は被告銀栄に対する信頼を失うに至ったこと、以上の事実を認めることができる。

これに対し、被告銀栄は、店内のカウンター、戸棚、洗場及び外装の各工事をしたのみで、原告の承諾を得ていると主張し、大山蓉子(第一回)は右主張に副う供述をするが、右供述は前掲各証拠に照らして措信し難く、他に右被告主張事実を認めて前記認定を覆えすに足りる証拠はない。

2  本件土地が防火地域内にあり、建物は耐火構造にする必要があるのに、本件建物が木造建築であることは、原告と被告銀栄間に争いがなく、本件建物が昭和二年ころの建築にかかる建物を取毀した古材をもって、昭和二一年ころの資材不足の折に建築されたものであることは、前記認定のとおりであるところ、《証拠省略》を総合すると、本件建物の損耗の程度は次のとおりであることが認められる。すなわち、本件建物の南側は飲食店の密集地域であり、昭和四四年九月一九日午後四時四五分ころ、本件建物の南側に近接する中華料理店「千明」二階レストラン「スワン」事務所付近から出火し、同店木造二階建店舗兼事務所一棟七〇平方メートルを全焼したが、その際本件建物の南側上部約三分の一を類焼し、原告が修理した後も同箇所の柱の強度が弱くなってしまった。昭和五三年七月現在の本件建物の状態は、土台下飛石据えの基礎が風化して一部粉が残っている程度であり、内部からモルタルとブロックで補強されているにすぎず、土台は建物北東側は全くなく、内部改造時の柱でもっていること、柱下は腐蝕して下から三〇ないし四〇センチメートルの部分はなくなっており、二階の梁は全く不陸の状態である。小屋組みは南側の約半分に九年前の前記火災類焼時の焼け跡があり、梁は炭火して耐えられない状態の部分が多い。屋根は亜鉛鉄板部分が腐蝕しており、数回に亘り部分的に雨漏りを補修した跡がある。外壁は、東側が古板及び亜鉛板張りで凹凸していて破損箇所もあり、真柱が腐蝕していて釘を打ってもきかない。立上りは地面から二階梁までの間の約二・九五メートルのところで南西側に一二センチメートル傾き、更に屋根までの間で七センチメートル北東側に傾いている。また、昭和五五年一二月二九日の時点における本件建物の状況は、外壁下部(一階部分)はモルタル塗り又はスタッコ仕上げで、外壁上部(二階部分)は押縁下見板、東側背面は小浪鉄板張りモルタル下地胴縁(部分的に露出)であり、内部二階は全部空室で、天井が半壊し、造作は取除かれており、一部野小屋の状態である。南側の角部分は道路掘削による地盤沈下の影響で若干傾いている。本件建物の各柱材(杉三寸)の脚部及び外部二階部分の下見板に自然摩耗がみられ、南面東側の下見板及び小屋組みの小屋東に前記類焼時の焼け跡がみられる。二階内部は類焼跡と立退きの跡始末で天井、壁等が破損されたままの状態になっている。本件建物は東西両側を鉄筋コンクリート造の建物で挾まれているうえ、屋根が軽く、小屋組みも簡単で外壁の一階部分は塗壁下地の胴縁として厚さ一二ミリメートルの小巾板をこまかく打ってあるので、強震程度の地震又は強風のため即座に倒壊することはないと思われるが、外見の割には建物が全般的に老朽化して、かなりの損耗、損傷がみられる。また、右建物の敷地である本件土地が防火地域に指定されているので、鉄筋コンクリート造のような不燃建築でなければ許可されず、本件建物を仮に改造又は修理しても現行の建築基準法に適合する建物とすることは不可能である。殊に、バーや飲食店は規模の大小にもよるが防災面から強い規制があり、飲食店等の夜間専用の使用面から、火災、換気、煙害、避難路等防災に対する本件建物の危険度は相当大きく、現在直ちに朽廃しているとは認め難いが、早急に不燃化する必要があること、以上の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

3  原告が被告銀栄に対し、昭和四八年五月、賃貸期間の満了に伴い本件建物(一)の賃料を一か月金五万四〇〇〇円に増額したい旨申入れたが被告銀栄が拒んだため右増額が実現せず、更に昭和五二年七月に増額を申入れたが合意に達せず、以来原告が本件解約の申入れをした昭和五三年九月まで八年間同一賃料のままであったことは、原告と被告銀栄間に争いがなく、《証拠省略》によれば、原告と被告銀栄間に昭和五二年に賃料増額の合意が成立しなかったのは、原告が建物の床面積三・三平方メートル(一坪)当り一か月金一万七〇〇〇円に増額することを主張したのに対し、被告銀栄が金一万円を主張して譲らなかったためであること、一方、本件土地の固定資産税及び都市計画税は毎年増額の一途を辿り、昭和四七年度は年間合計金四六万四五九五円、昭和四八年度は金六一万八四七一円、昭和四九年度は金八〇万四八九五円、昭和五〇年度は金一〇一万四五三一円、昭和五一年度は金一一一万四二六三円、昭和五二年度は金一二二万三九六九円、昭和五三年度は金一二九万五三二四円にも及んだこと、そのため右賃料は不相当なものとなったが、前記の経緯からこれを改めることができなかったこと、以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

4  《証拠省略》によれば、次の事実を認めることができる。すなわち、原告は、肩書住所地に宅地二〇九・一二平方メートルと木造瓦葺二階建居宅一棟床面積一階一一〇・四四平方メートル、二階四五・〇二平方メートルの原告宅を所有し、同所で「松山」の屋号でお座敷天ぷら屋を経営していること、右原告宅の北側地続きには港区立麻布小学校と同区立麻布幼稚園の校庭と校舎があり、また、原告宅の南隣りと西隣りはかつて民家があったが、これら民家をその敷地とともに訴外清和ビルディング株式会社が昭和四六年三月から五月にかけて買収し、マンションの建築を計画したこと、これに対し麻布小学校のP・T・Aは、校庭と校舎が日陰になるのでマンションの建設に反対し、結局、港区が右訴外会社から昭和四七年五月二三日に右土地を買取り、その地上建物を取毀してこれを校庭とした。右のような経緯で、原告宅の北、西、南の周囲三方は、別紙図面(二)記載のとおり、学校及び幼稚園の校庭に囲まれ、その中央部に一軒だけぽつんと突き出た形になってしまった。その結果、港区では昭和五三年から昭和五四年にかけて港区教育委員会の庶務課長、同課施設係長、港区区議会議員及び教師等を派遣し、校庭の効率的利用と拡張のため原告宅の買取りを繰返し求めてきた。右小学校と幼稚園の敷地は極めて狭く、屋外運動場は一〇〇メートルの直線コースがとれない有様で、他に運動施設も作れず、児童生徒の体力増進と健康管理のため学校関係者や父兄が日頃苦慮していたところ、原告宅があるため、その北側の第一校庭と南側の第二校庭とに事実上二分され、折角の第二校庭の買収も原告宅が邪魔をしてその価値を減じてしまっているところ、他方、原告も現在の天ぷら屋の営業を継続していかなければならず、この際、学校等の要望に添うためには、原告が昭和四四年三月七日に西村庫三からその所有権を取得した本件土地につき、その地上の老朽化した本件建物を取毀してビルを建て、同所に移転するほかはないことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。もっとも、《証拠省略》によれば、原告は、右原告宅に一人住いであり、他に都内原宿にマンション六部屋を所有しているが、うち五室は他人に賃貸し、一部屋は空室になっていて、住居の確保は可能であるものの、前記天ぷら屋の営業をなすのに適する所は有していないことが認められる。

次に、被告銀栄が本件建物(一)を賃借する必要性について判断するに、《証拠省略》によれば、被告銀栄は昭和三八年一二月以来本件建物(一)においてバー「雪ん子」を経営し、いわゆる馴染み客も多く、小規模ながら順調な売上げを上げていること、本件建物に比較的近い中央区銀座七丁目、八丁目にはバー経営に適する貸店舗が多数存するが、保証金の額や賃料が本件建物(一)に比して高額であり、移転の費用や客離れの不安もあるので、同被告は本件建物(一)で従来どおり営業を続けたい希望を有していることが認められる。

5  原告が被告銀栄に対し、昭和五三年九月七日到達の書面をもって本件建物(一)の賃貸借契約の解約の申入れをした際、立退料として金四五〇万円の支払を申出たことは原告と被告銀栄間に争いがなく、また、本件の和解期日において、原告が被告銀栄に対し右同額の立退料の支払を申出て円満解決を試みたことは当裁判所に顕著である。

三  以上認定の原告と被告銀栄双方の事情並びに社会公益上の諸般の事情を比較考量するに、前記二、4認定の原告宅の移転の必要性と本件建物の敷地を自ら使用する必要性並びに本件建物の近隣における貸店舗の存在状況、前記二、2認定の本件建物の現状、就中、基礎の風化、土台・柱の腐朽と全体的耐力低下、建物の傾斜等全般的な老朽化と損耗の程度、土地の経済的利用の必要性、前記二、1及び3認定の原、被告間の信頼関係に生じた亀裂等を合わせ考えるときは、被告銀栄の本件建物(一)における営業の必要度を考慮に入れても、原告は被告銀栄に対し立退料として金七〇〇万円を提供することをもって正当事由を具備するに至るものと認めるのが相当である。したがって、原告と被告銀栄間の賃貸借契約は前記解約申入れから六か月後の昭和五四年三月七日の経過により終了したものというべきである。

四  そうすると、被告銀栄は原告に対し、原告から金七〇〇万円の支払を受けるのと引換えに本件建物(一)を明渡し、かつ、訴状送達の日の翌日である昭和五四年三月八日から右明渡済みに至るまで一か月金三万三〇〇〇円の割合による賃料相当損害金の支払義務があることになる。

第二被告木村に対する請求について

一  被告木村に対する請求原因1ないし4の事実(本件建物(二)に関する可祢と被告木村との賃貸借契約及び原告の右賃貸人たる地位の承継等の事実)並びに原告が被告木村に対し、昭和五三年九月一日、右賃貸借契約を解約する旨の申入れをなした事実は原告と被告木村間に争いがない。

二  そこで、右解約の申入れが正当事由に基づくものであるか否かについて判断する。

1  《証拠省略》を総合すると、前記理由第一、二、2に示した事実(本件建物の全般的な老朽化等に関する事実)を認めることができる。

2  本件建物(二)の賃料が昭和四五年六月以降一か月金五万四〇〇〇円のまま増額されていないことは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、原告は、被告木村に対し、昭和四八年五月二二日、土地の税額が昭和四五年度一か年金三三万三五三〇円であったのが、昭和四八年度は金六一万九一〇〇円になったので、三年経過後の諸事情を考慮し、同年四月一日から賃料を金五万四〇〇〇円から金六万八〇〇〇円に増額したい旨を申入れたが被告木村の拒絶にあって果せず、その三年後の昭和五二年七月の値上げ要求の際にも合意に達せず、本件賃貸借の解約の申入れをした昭和五三年九月まで八年間同一の賃料のままになっていたこと、これに対し、本件土地に対する固定資産税及び都市計画税は昭和四七年度以降毎年増額の一途を辿り、その金額は前記理由第一、二、3に認定したとおりであり、そのため右賃料は不相当なものとなったが、前記認定の経緯からこれを改めるに至らなかったことが認められる。

3  《証拠省略》を総合すると、理由第一、二、4に認定したとおりの事実(原告の本件土地、建物に対する自己使用の必要性に関する事実)を認めることができる。

次に、被告木村の本件建物(二)の使用の必要性について判断するに、《証拠省略》によれば、被告木村は肩書住所地に別に住居を有し、昭和三五年四月から本件建物(二)でバー「リーベ」を経営し、その一か月の売上は金八〇万円から多い月で金一三〇万円程度になること、本件建物に比較的近い中央区銀座七丁目、八丁目にバー経営に適する貸店舗は多数あるが、保証金や賃料が本件建物(二)に比して高額であり、移転に要する費用や客離れの不安もあるので、被告銀栄と同様に、本件建物(二)で営業を続けたい希望を有していることが認められる。

4  原告が被告木村に対し、昭和五三年九月一日到達の書面をもって本件建物(二)の賃貸借契約の解約の申入れをした際、立退料として金六〇〇万円の支払を申出たことは原告と被告木村間に争いはなく、また、本件の和解期日において、原告が被告木村に対し右同額の立退料の支払を申出て円満解決を試みたことは当裁判所に顕著である。

三  以上認定の原告と被告木村双方の事情並びに社会公益上の諸般の事情を比較考量するに、前記二3認定の原告宅の移転の必要性と本件建物の敷地使用の必要性、本件建物の近隣における飲食店用貸店舗の存在、前記二1認定の本件建物の全般的な老朽化と損耗の程度、本件土地の経済的利用並びに前記二、2認定の原告と被告木村間の賃料増額に関して生じた不和等を合わせ考えるときは、被告木村の本件建物(二)における営業継続の必要度を考慮に入れても、原告が被告木村に対し立退料として金一〇〇〇万円を提供することをもって正当事由を具備するに至るものと認めるのが相当である。

したがって、原告と被告木村間の賃貸借契約は前記解約の申入れから六か月後の昭和五四年三月一日の経過により終了したものというべきである。

四  さすれば、被告木村は、原告に対し、原告から金一〇〇〇万円の支払を受けるのと引換えに本件建物(二)を明渡し、かつ、訴状送達の日の翌日である昭和五四年六月一二日から右明渡済みに至るまで一か月金五万四〇〇〇円の割合による賃料相当損害金を支払う義務があることになる。

第三結論

以上の次第で、原告の被告らに対する本訴請求は、前記理由の第一、四及び第二、四において示した限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条但書、九三条一項本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 河野信夫)

<以下省略>

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